ユニフォームは戦闘服 グラウンドは戦場!阪口慶三氏2
タイテツさんと同年代の、元東邦高校主将伊藤氏がタイテツさんへ
阪口慶三氏(現大垣日大高校監督)の東邦高校監督時代を振り返ってくれました。
現在とは時代背景がだいぶ変わりますが、
高校野球の1ページを彩ってきた名伯楽への思いを馳せながら
第100回全国高等学校野球選手権記念大会へ繋げることも出来るのではないでしょうか。
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5回くらいだっただろうか。守備の時にフライが上がり、セカンドとセンターが追いかけ衝突。
その結果、センターが靭帯を損傷する怪我をし退場。。
そこで、隣にいる僕を見た阪口先生が
『お前セカンド行け!』
ということに。セカンドの先輩がセンターに行き、初戦で初セカンドを守ることになりました。
打席に立っても、たまたまずっとヒットが続き、その試合後からずっと試合で使ってもらえるようになりました。
僕自身は、幸いにも先ほど書いたような脱水症状になったことや、怪我で離脱したりとかは1度もなく。
3年間、学校行事以外の個人の都合で練習を半日たりとも休んだことはなかったです。
多分そういう人はほぼいないのでは。
阪口先生は、とにかく向かってくる選手が好きでした。
『お前の練習くらいで倒れるか!』
って思ってやっていたのが、はまったんだと思います。
2つ上の先輩たちが春夏連続甲子園へ出場。
愛知県内でも注目される中、1年時秋の東海大会は2回戦で浜松商にコールド負け、翌年夏の県大会は5回戦で敗れてしまい。
『前代未聞だ』と言われました。
来る春は、何が何でも甲子園に行かなくてはならない。
となり、負けた翌日から練習が始まりました。
合言葉は
『前頭』
全国制覇した2つ上が横綱、1つ上で負けたので、僕らは前頭からのスタートだ。ということです。
ー 阪口慶三氏 ー
1944年生まれ。1967年、東邦高校の監督へ就任。
打倒中京高校を掲げ、鬼の阪口と呼ばれるほどのスパルタ指導で東邦高校を鍛え上げた。
1977年第59回全国高等学校野球選手権大会準優勝。1988年第60回選抜高等学校野球大会準優勝。
1989年第61回選抜高等学校野球大会にて甲子園初優勝。2004年、同校監督を勇退。
2005年より岐阜県大垣日大高校監督へ就任。2007年第79回選抜高等学校野球大会で準優勝。
東邦高校:甲子園出場24回 25勝23敗・優勝1回・準優勝2回
大垣日大高校:甲子園出場7回 12勝7敗 準優勝1回