ユニフォームは戦闘服 グラウンドは戦場! 阪口慶三氏5
タイテツさんと同年代の、元東邦高校主将伊藤氏がタイテツさんへ
阪口慶三氏(現大垣日大高校監督)の東邦高校監督時代を振り返ってくれました。
現在とは時代背景がだいぶ変わりますが、
高校野球の1ページを彩ってきた名伯楽への思いを馳せながら
第100回全国高等学校野球選手権記念大会へ繋げることも出来るのではないでしょうか。
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夏の大会が始まる前から愛知県は名電がダントツ強く、
ほぼ甲子園は名電と言われ、特に準々決勝の名電対中京が事実上の決勝戦と言われていた。
準決勝を勝った名電選手は中村監督と午後からの試合を観戦、林のスクイズを見て、
『明日は楽勝!』と引き上げ、その夜は父兄も交え『甲子園決定』のような宴会だったと。。
一方、辛くも勝った僕たちは、午後からの試合で終わったのが16時頃。
グランドに戻り日が暮れるまでバッティングした後、
宿舎に戻り(夏の大会中は旅館に泊まり負けるまで合宿)
『先に風呂に入れ』
20時頃から晩飯+ミーティング。
準決勝で不甲斐ないプレーの選手がボコボコになりながら就寝についたのは深夜1時前だった。
『明日はスキッとした顔で起きて来い!』
多分、ここで勝敗が決まっていた、と思います。
僕は織田信長の桶狭間の戦いをいつも思うのですが、
強いチームが必ずしも勝てるわけではなく、
『勝つ』ために何を準備するかが大切で。
阪口先生は
『グランドは人間教育の場』
と仰られ、野球を離れても立派な人間を、社会人を作るんだ。
と、長きに渡り監督をやっておられます。
正直、高校時代、ここ一番の試合は負ける気がしなかったし、実際全て勝ってきました。
ー 阪口慶三氏 ー
1944年生まれ。1967年、東邦高校の監督へ就任。
打倒中京高校を掲げ、鬼の阪口と呼ばれるほどのスパルタ指導で東邦高校を鍛え上げた。
1977年第59回全国高等学校野球選手権大会準優勝。1988年第60回選抜高等学校野球大会準優勝。
1989年第61回選抜高等学校野球大会にて甲子園初優勝。2004年、同校監督を勇退。
2005年より岐阜県大垣日大高校監督へ就任。2007年第79回選抜高等学校野球大会で準優勝。
東邦高校:甲子園出場24回 25勝23敗・優勝1回・準優勝2回
大垣日大高校:甲子園出場7回 12勝7敗 準優勝1回